でこぼこから メッセージ
ここにも みちがあるよ だって
こすると みえる あたらしいみちが
おおきなとおりから ほそいおくのみちも
どんどん でてくる
また こする
みちは どんどんできてくる
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小さい頃に紅葉できれいな葉っぱを拾って
しばらくとっておいたのに
いつのまにか色があせてしまい
がっかりしたことがよくありました。
一度大きなイチョウの葉っぱを拾い
何年たってもめずらしくきれいなまま。
見返してはとっておき、気づけば20年以上持っていました。
最近さすがに縁が砕けており、ようやく自然に還しました。
今なら写真に撮ったり、スキャンしたりなどいろいろやる方法を得て
何気なく見つけた葉っぱや木の実を
特に目的もなく記録しています。
落ち葉を空に舞いあげて遊んでいる様子や
森で落ち葉の布団をして寝転ぶ写真に憧れる長女を見て
その季節、その時でないとできない体験や感覚を
いつも細かに拾い上げられる人でありたいなと思うのでした。
カテゴリー: Drawing/Painting
にじいろおばけ
こんなおばけなら あってみたい
おばけって なんでこわいんだろう
このおばけも あってみたら こわいのかな
それとも おばけは ほんとうは こわくないのかな
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おばけ、なぜこわいのでしょうか。
自分が全く予想しないところで出てくるから?
見たことがないから?
得体の知れない生き物だから?
わからないところを集めていくと、それが、おばけ。
おばけはそれぞれ
思う人の心の中で生きていて
時に大きくふくらみ、心の中に住んでいるのかな
と今は思います。
けれど、それが現実に出てきたら
会ってみたいような、怖いような。
実際に会ってみると、おばけへのイメージも
どんどん変わりそうです。
今日の結論: おばけには一度会ってみたい
顔に加える
おけしょうすると すてきになるかしら
ためしてみたけど なんだかちがう
いっしょうけんめい くふうしたのに
すてきになるの なにがちがうのかな
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これがいいバランス、と思っていた描き方を
無意識に固定してしまっていることがあります。
それではみんな似たような顔つきになってしまう。変えよう。
「変わる」ということが、年を取っていくのと同じで、
自然なのかもしれません。
お化粧もシーズンや時期によって、流行や美意識が変わり、
「美しい」とよばれるスタイルも、どんどん変わっていく。
ただ、だんだんと自分も年を取っていく中で、
その「美」は、ある1つのものさしでは全く役に立たない気がしてきました。
いろんな方向から見てみると、1つの見方だけでは見つけられなかった
「美」に気づく。
それは
アンティークやビンテージのように年を経たことで出てくる味だったり、
生命力にあふれる活力だったり、
生まれたてのようなみずみずしさだったり、
しなやかに揺れ動くことのできる強さだったり。
すぐに言葉や絵にできるとは限らないのですが、
感じ取ったことをなにかしら形にして、
見ている人にも楽しさが伝わるといいな
と思いながら、書いて、描いています。
夏と言えば
季節ならではの ものがある
いつもこの季節は これ
いつも同じが 安心の時と
いつもと違うが うれしい時
どっちもあって どっちもいい方に 舵が切れるなら
遠いところから 眺めてみれば
どちらも その時ならでは、なのだろう
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この夏は遠くに行きたいなあと思いながらも、
なかなか行けないでおりました。
そのかわり、近場のいいところを発掘したり、見直したりすることも
たくさんありました。
ふと、パスポートを見てみたら、
期限切れになっているかと思いきや、
まだ、1年残っていました。
パスポートを使えるような遠出が、気軽にできるようになるか
まだまだ見えないですが、
なんだか、小さな希望みたいなものをもらったような気分になりました。
近くを深く潜った後は、
遠くまで飛んでみたいです。
七夕飾り
竹の枝を切り 紙の飾りをつける
七夕が過ぎると だんだん色褪せて
そのうち 天に還っていく
次の年も その繰り返し
繰り返される思いと 変わっていく願い
毎年のように 雲の上でのみ光る 織姫星と彦星
地上では星は降らず 梅雨が続く
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新暦だとたいてい梅雨真っ只中で、本降りのことも多いです。
反対に以前参加した七夕祭は、いずれも旧暦の7月7日付近に行われていて、
カンカン照りの夏真っ只中でした。
旧暦の七夕は、もうすぐですね。
1か月違うだけで、全然違う空模様。
先ほど七夕祭、地域それぞれでお祭りの仕方が全く違っていました。
いわゆる定番の七夕は、竹に短冊や紙で作ったものを飾る点はどちらも一緒でしたが、神社や町の主体で行う、旧暦の方の七夕祭は、
吹き流しのようなものを縦向きに飾ったり。
別のところではたくさんの提灯を飾ったり。
輪くぐりを一緒にやっていたり。
地域が違うと、季節の節目の行事の雰囲気もだいぶ違うものなのですね。
あちこち住んで、改めて意識することになりました。
となると、七夕飾りももっと自由でいいのでは?
この前公民館で作らせてもらった七夕飾りも、初めて見るやり方。
横に渡しておくと、ゆらゆらモビールのように揺れて楽しいです。
七夕飾り、新しい飾り方の可能性がありそうと思いました。
ちなみの今年の長女の短冊には、「やおやさんになりたい」と書いてありました。
やおやさん、いいなあ。
こちらも新しい八百屋さん像がありそうです。
積み木で試してみる
これさえあれば
なんでもつくりだせる
いろとかたちの くみあわせで
おもいもよらないものが できてくる
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新しい画材を試し中です。
カラーで描く際、ニッカーのデザイナースカラーを選んでみました。
1.動物毛の筆で書く際に、「筆が立つ」画材
(筆先まで神経が行き届くような細かな描写ができる)
2.動物毛の筆が傷まない
3.発色が鮮やか
4.色ムラが出にくい
5.グラデーションが出しやすい
6.対光性がある
7.印刷した場合やデジタル化した際にも、色が鮮やかである。
今まで絵本の原画となるものや、展覧会で出す絵に関しては、主にアクリルガッシュを使っていました。
鮮やかで速乾性があり、重ねて塗っても下の色が出にくい。
乾くと耐水性であるのがよかったです。
ただ、私が使い慣れている動物毛の筆だと、どうしても細かな表現がしにくい。
筆がすぐに傷んでしまうのが悩みどころでした。
アクリルガッシュも時には使いつつ、メインで使える他の画材はないか。
最近「苔庭」で描いている、色鉛筆や透明水彩も好きですが、
鮮やかにパーンと色面が出るものがほしい。
しばらく思いを溜めていて思い出したのが、中学生時代にスタジオジブリの背景画を模写して描いていて楽しかったこと。
その絵を描いたのは、おそらくポスターカラー。
それからポスターカラー周辺のことを調べてみたところ、デザイナースカラーにたどり着きました。
デザイナースカラーは、ポスターカラーよりも筆で描いたところが伸びやすく、発色もいいとのこと。緻密な作業にも向いており、混色しても濁りが少ないそうです。(デザイナースカラーパンフレットより)
早速、自分で色見本を作ってみました。
まず、一行目の色を塗っている際に、うっとりしました。
…なんてきれいなんだ!
これは描くのが楽しみ☆
上澄みのアラビアガムが出し始めに出てくるチューブの絵の具は少しねっとりして、乾いた後も少しべたついていました。
でもこれも使い続けていけば、そんなに問題なくなるのではないでしょうか。
「水で溶く時は、水は絵の具の量の約20%が適量です 。」とのこと。
今回描いた積み木絵は水彩で描くように多めに水を入れてしまい、少し水彩調になってしまったため、これもコントロールをしながら、試したい。
既に塗っているところに重ねた際や、細かな部分の描写、
グラデーションなども他の絵でもいろいろ試したい。
ああ、楽しみ!
ニンジンの花
ニンジンの食べる部分 そのまま植えたら
芽が出て 茎が伸び 葉っぱも増えて
とうとう立派な花まで咲いた
ニンジンは 種だったのか
いやたしかニンジンは 根っこだったはず
根っこだけで エネルギーを秘めている
昼間の花火と 花束を見せるほどの
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ニンジンの花を、お隣さんからいただきました。
ニンジンをそのまま植えたら、腰くらいの高さまで育ったそうです。
農業地域に住んでいた時も思っていましたが、
ニンジンの花は、本当にきれい。
アジサイの花や、タンポポの花のように、1つ1つが集まったタイプのお花で、
見ごたえも描きごたえもあります。
最近私の周りでは、植物や生き物と過ごす時間をもつ人が多いです。
もともと好きだったのが、さらに関わる時間が増えて、緑が増えた印象。
東京の下町に住んでいた時、窓の外から緑が見られない部屋で、
どうしてもなにか緑がほしくて、芝生のようなカーペットを買ったことを思い出しました。
なにか緑があると、どうやら安心できるようです。
同じように、水辺が周りにあると、安心できます。
思えば、今まで住んだ場所も近所に川・池・水田・水路がある場所でした。
山に行っても、小川や水源に行くとうれしかったな。
そう思うと、苔が好きで、ブログタイトルを苔庭としたのも、
もともとの性質から、なのかもしれません。
湿気も緑もありがとう。
こいのぼりのうろこ
こいのぼりのうろこは
おなじようで ひとつひとつ ちがっていた
うろこも まるで いきものみたい
あっちをむいたり こっちにゆれたり
おほしさまや はーとに あこがれたり
じつは じぶんは おさかなと おもっていたり
じっとみつめていると もっともっと
あたらしい うごめくものが でてきそう
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連休前に持ち帰った、長女のこいのぼりです。
宝石が並んだかのような、様々な鱗。
よくよく考えてみたら、鱗の動きは、水の中で一定ではないはず。
拡大して見られるならば、1つ1つ違う揺れ方や形になっていそうです。
元の作品からはもっと迫力を感じました。
鱗1つ1つから出ている生命力でしょうか。
鱗を置いていった手順を追いながら描いてみましたが、
今回の絵ではそこまで力が及びませんでした。
もっと大きく描いたなら、もう少し近づけたかもしれません。
ひなまつりも楽しいですが、
自分が小さい頃は、断然子どもの日のこいのぼりの方が好きでした。
こいのぼりって描いていると、なんだかとっても楽しいんです。
目や鱗の、丸や波模様が繰り返されるところやグラデーションの色合い。
毎年春の初めに川で「のんぼり洗い」(鯉のぼりののり落とし作業)の
ニュースを見るのも好きでした。
川の中でゆらゆら揺れ、泳いでいるかのようなこいのぼり。
子どもの日近くに掲げられた、風を食べて、大きく泳ぐこいのぼりもいい。
たくさん並んで壮観な景色のこいのぼりも、楽しい。
ひなあられもおいしいけれど、柏餅やちまき、菖蒲湯もいいですよねえ。
子どもの日あたりは気候もよく、お休みの最中なのもよかったのかもしれません。
近々和菓子屋さんに行きたいです。
ゆらゆら はるですよ
おだいりさまとおひなさまが
ふたりならんで ゆらゆらゆらゆら
なんだか うれしそう
ぽかぽかするひは きもちいい
ゆらゆらゆらゆら
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長女が公民館の工作に参加して作りました。
紙皿にリボンやハートをちりばめて、楽しそうなふたりです。
色の組み合わせも、なんだか楽しげな感じです。
千代紙の裏表を使って、こんなふうにカップルが作れるとは。
紙皿のサイズ感と、折り紙のサイズ感もいいし、
紙皿なら立って置くことも、ゆらゆら揺らして楽しむこともできる。
こういう工作の原型アイデアはすごいです。
作る材料と技術に制約があっても、見栄えのする組み合わせがある。
今あるもので、新しいことがもっとできそうです。
何かをちょっとだけ加えれば、がらっと違うことがやれる予感がしました。
鬼になる
鬼のお面をかぶる
とたんに体が広がり強くなる
大きな声も出る
負けない気持ちがあふれ出る
でもやっぱり本物の鬼はこわい
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なかなか量が描けない日々の中、
子どもが園で作ってきた制作物は刺激になります。
少し前に作ってきた節分の鬼たち。
もとの定型はあるけれど、作り手の年齢や技量で
少しずつ個性が作品1つ1つに出てくる。
作り手にどこか似ている、愛嬌ある鬼たち。
子どもの作品がずらりと並んだところに向き合うと、
図画工作は表現の自由を得る以外にも、
基礎的な技術の習得や、日々の言葉にならない気持ちの発散もあるなあ
と思います。
もし私が作るなら
最強に怖すぎる鬼と
鬼とは思えない優しさにあふれた鬼を作り
時々かぶって、子どもらを追っかけます。